前職時代の後輩が、人事評価について SNS 上で毒を吐いていた。
要約すると、彼は営業として非常に高い成果を上げていた (実際すごい出来るやつ。早く AppLovin に来てほしいw) にもかかわらず、アピール・社内政治が上手い人が評価され、成果を上げている人が必ずしも最高の評価を受けないという点が不満らしい。
自分が評価されないのが辛いという刹那的な愚痴ではない。
結果に対する正当な見返りがないことや、顧客や市場ではなく社内を向いている人が高く評価されていることが、(出来る人にとって特に) 精神的に苦痛であり、優秀な人からどんどん外に出て行ってしまうであろう現状を憂いた、建設的なネガティブフィードバックだとぼくは受け取った。
まず実態としてどうなのかでいうと、ぼく自身の経験を振り返っても、多かれ少なかれ彼の指摘は正しいと思う。
自分がその組織に所属していたのは 3-7 年前とけっこうもう昔になるが、クライアントから評価され数字的にも高い成果を上げていてもアピールが不足していたため昇進を逃し (超絶望した)、そこから半年間仕事はそこそこにやって社内アピールによりリソースを割いたところ高い評価で半年後に昇進!(違う意味で絶望した) というのを経験している。
2 つの時期を比較してみて、精神的に圧倒的に充足していたのは前者の、人事的には評価されないが、同僚やクライアントからは仕事を高く評価されていた期間だった。
(最後に絶望が待っていたのだけど。笑)
その経験を経た上で、評価や報酬といったものに対する今のぼくの価値観はこんなかんじ。
前職は色んなところから書籍が出まくっているぐらい、HR 文脈で優れた仕組みを持っていると世の中的には評価されている。
そんな組織でも実態としてはこんなもんなので、いわんや一般の大企業では、である。
あなたの働きっぷりを一番よく知っているのは、あなたが日々接しているクライアントやユーザー、そしてあなた自身。
同僚も、部下も、上司も、あなたがやっていることを 100% 把握・理解することは出来ないし、その価値を正しく評価することは出来ない。
仮に彼らが自分の評価が正しいと思っていたとしても、おそらく正しくない部分は必ずあるし、あなた自身の評価と 100% 一致することはまず無いと思ったほうがいい (自分に対する期待値コントロールという意味で)。
フィードバックを謙虚に聞くことも必要であるが、一方で、自分は価値ある・意味あることをやっていると信じていて、ただそれが評価されていないとしたら。
正しいのは自分で、分かっていないのは向こうだ、ってケースはとてもとても多い!
でも正しく評価されないことを憂いても無駄、だってそれがデフォルト状態だし、今後改善される保証なんてないから。
そこは諦めちゃったほうが精神衛生上は安定すると思う。
仮に高い人事評価をうけて、ボーナスや給料で多少報われたとして、それは人生において何か大きな意味があるだろうか。
嬉しいことは嬉しいんだけど、それは一時的な、刹那的な快楽にしかすぎなくて、中長期的な充足感・満足感や生きがい的なものをもたらすのは、ドーパミンではないのだ。
ぼくの考えでは、本当に評価されるべき相手は上司 (概念的な意味で) ではなく、同僚、クライアントやユーザー、そして数字だ。
その理由は、これだけ「個人の時代」やら「評価経済」やら言われているなか、良い仕事をしない・できないヤツだ、(パフォーマンス以外も含めて) 一緒に働きたくないヤツだと思われてしまうと、その後の人生がマジでハードモードになってしまうからだ。
どの業界も十分に狭いので、リファレンスをとるのは容易だし、いちどついた評価・評判を覆すのはなかなかに難しい。
業界変えてリセットしちゃうほうがよっぽど楽だ。(年齢的にある程度タイムリミットはあるが)
おそらく上の人よりもマーケットやお客さんのことを知っているであろう、同じレベルにいる同僚 (いわゆる peer というやつ) から評価されるというのは、高い人事評価よりもよっぽど「いい仕事」をしているというサインだ。
クライアントやユーザーから評価される仕事をしているというのも、「いい仕事」の証明だし、さらには職場や仕事内容が変わったとしてもそれらはあなたについてくる (可能性がある)。
そして定量的な数字は裏切らないし嘘をつかない。
この 3 つから高く評価されていれば、短期的に今いる組織で評価されなかったとしても、中長期的には何らかの形で見返りがあるはず。
それは今の組織における昇進・昇給や、希望の部署への異動といった形かもしれないし、もしかするとより良い条件・楽しい内容の別の仕事のオファーという形かもしれない。
そういった即物的なものではない、感謝やリスペクトといった無形のものが得られることもあろう (あるねん)。
自分が例えば何かチャレンジをするとなったときに、 この類のクレジットが溜まっている人と溜まっていない人とでは、周りから得られるサポートがマジで全然違ってくると思う。
逆に、いくら人事的に評価されていても、同僚や部下からの評価が低かったり、ユーザーやクライアントから好かれていなかったり、アピールが上手いだけで数字で結果が伴っていなかったりすると、将来的にはつらい人生が待っているんじゃないかと思う。
ギャップがある分、なおさら。
というわけで、自分が正当に評価されていないと嘆く諸君。
組織や上司から正しく評価されるというのは幻想だから諦めよう!
自分が信じる、本当に正しい、価値のあることをやろう!
同僚や、部下や、クライアントや、ユーザーが喜んで、賞賛してくれることをやろう!
そっちはきっと正しく評価されてるから安心して!
そしたら長い目で見たらきっと良い人生が待ってる!
きっとね!(願望)
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要約すると、彼は営業として非常に高い成果を上げていた (実際すごい出来るやつ。早く AppLovin に来てほしいw) にもかかわらず、アピール・社内政治が上手い人が評価され、成果を上げている人が必ずしも最高の評価を受けないという点が不満らしい。
自分が評価されないのが辛いという刹那的な愚痴ではない。
結果に対する正当な見返りがないことや、顧客や市場ではなく社内を向いている人が高く評価されていることが、(出来る人にとって特に) 精神的に苦痛であり、優秀な人からどんどん外に出て行ってしまうであろう現状を憂いた、建設的なネガティブフィードバックだとぼくは受け取った。
まず実態としてどうなのかでいうと、ぼく自身の経験を振り返っても、多かれ少なかれ彼の指摘は正しいと思う。
自分がその組織に所属していたのは 3-7 年前とけっこうもう昔になるが、クライアントから評価され数字的にも高い成果を上げていてもアピールが不足していたため昇進を逃し (超絶望した)、そこから半年間仕事はそこそこにやって社内アピールによりリソースを割いたところ高い評価で半年後に昇進!(違う意味で絶望した) というのを経験している。
2 つの時期を比較してみて、精神的に圧倒的に充足していたのは前者の、人事的には評価されないが、同僚やクライアントからは仕事を高く評価されていた期間だった。
(最後に絶望が待っていたのだけど。笑)
その経験を経た上で、評価や報酬といったものに対する今のぼくの価値観はこんなかんじ。
どれだけイケてる組織であっても、人を 100% 正しく評価することは不可能。
前職は色んなところから書籍が出まくっているぐらい、HR 文脈で優れた仕組みを持っていると世の中的には評価されている。
そんな組織でも実態としてはこんなもんなので、いわんや一般の大企業では、である。
あなたの働きっぷりを一番よく知っているのは、あなたが日々接しているクライアントやユーザー、そしてあなた自身。
同僚も、部下も、上司も、あなたがやっていることを 100% 把握・理解することは出来ないし、その価値を正しく評価することは出来ない。
仮に彼らが自分の評価が正しいと思っていたとしても、おそらく正しくない部分は必ずあるし、あなた自身の評価と 100% 一致することはまず無いと思ったほうがいい (自分に対する期待値コントロールという意味で)。
フィードバックを謙虚に聞くことも必要であるが、一方で、自分は価値ある・意味あることをやっていると信じていて、ただそれが評価されていないとしたら。
正しいのは自分で、分かっていないのは向こうだ、ってケースはとてもとても多い!
でも正しく評価されないことを憂いても無駄、だってそれがデフォルト状態だし、今後改善される保証なんてないから。
そこは諦めちゃったほうが精神衛生上は安定すると思う。
評価をするのは上司ではない。
仮に高い人事評価をうけて、ボーナスや給料で多少報われたとして、それは人生において何か大きな意味があるだろうか。
嬉しいことは嬉しいんだけど、それは一時的な、刹那的な快楽にしかすぎなくて、中長期的な充足感・満足感や生きがい的なものをもたらすのは、ドーパミンではないのだ。
ぼくの考えでは、本当に評価されるべき相手は上司 (概念的な意味で) ではなく、同僚、クライアントやユーザー、そして数字だ。
その理由は、これだけ「個人の時代」やら「評価経済」やら言われているなか、良い仕事をしない・できないヤツだ、(パフォーマンス以外も含めて) 一緒に働きたくないヤツだと思われてしまうと、その後の人生がマジでハードモードになってしまうからだ。
どの業界も十分に狭いので、リファレンスをとるのは容易だし、いちどついた評価・評判を覆すのはなかなかに難しい。
業界変えてリセットしちゃうほうがよっぽど楽だ。(年齢的にある程度タイムリミットはあるが)
おそらく上の人よりもマーケットやお客さんのことを知っているであろう、同じレベルにいる同僚 (いわゆる peer というやつ) から評価されるというのは、高い人事評価よりもよっぽど「いい仕事」をしているというサインだ。
クライアントやユーザーから評価される仕事をしているというのも、「いい仕事」の証明だし、さらには職場や仕事内容が変わったとしてもそれらはあなたについてくる (可能性がある)。
そして定量的な数字は裏切らないし嘘をつかない。
この 3 つから高く評価されていれば、短期的に今いる組織で評価されなかったとしても、中長期的には何らかの形で見返りがあるはず。
それは今の組織における昇進・昇給や、希望の部署への異動といった形かもしれないし、もしかするとより良い条件・楽しい内容の別の仕事のオファーという形かもしれない。
そういった即物的なものではない、感謝やリスペクトといった無形のものが得られることもあろう (あるねん)。
自分が例えば何かチャレンジをするとなったときに、 この類のクレジットが溜まっている人と溜まっていない人とでは、周りから得られるサポートがマジで全然違ってくると思う。
逆に、いくら人事的に評価されていても、同僚や部下からの評価が低かったり、ユーザーやクライアントから好かれていなかったり、アピールが上手いだけで数字で結果が伴っていなかったりすると、将来的にはつらい人生が待っているんじゃないかと思う。
ギャップがある分、なおさら。
というわけで、自分が正当に評価されていないと嘆く諸君。
組織や上司から正しく評価されるというのは幻想だから諦めよう!
自分が信じる、本当に正しい、価値のあることをやろう!
同僚や、部下や、クライアントや、ユーザーが喜んで、賞賛してくれることをやろう!
そっちはきっと正しく評価されてるから安心して!
そしたら長い目で見たらきっと良い人生が待ってる!
きっとね!(願望)
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